2021年1月3日

田崎晴明『熱力学』

1章だけ読む。著者の、この本を書くにあたっての熱力学という理論の組み立て方から、熱力学という科学の位置づけ、および科学全般の考え方についてコンパクトに示されている。著者が言うには、熱力学のようなマクロモデルは、しばしば、量子力学のようなミクロモデルの近似であるという誤解を受けているが、著者の考えはそうではない。ニュートン力学も、熱力学も、量子力学も、すべてこの世界の何らかの側面を示している普遍的なものである。普遍的であるとは、それ自体が独立した理論を形作っていて、他の理論に依存しているようなものではない、ということである。それ自体が、現象を厳密に記述しているのである。また、普遍的な理論が様々あるといっても、それは科学というものに様々な種類があるということではない。様々な普遍的な構造が集まったものが、基礎科学なのである、と言っている。さらに著者は、ミクロな理論を出発点とせずに、マクロな理論から熱力学を作り上げている理由を3つ挙げている。1つは、ミクロな理論を出発点にしてしまうと、「マクロ理論による世界の記述」という熱力学の最大の特徴が失われてしまう。2つ目は、ミクロな理論も、結局はマクロな経験によって支えられているということ。3つ目は、「ミクロな理論から暴露を導出する」と言う試みは、まだ部分的にしか達成されてしないからである。また、さらに大胆に、こんなことも言っている。還元主義の考えに立つなら、私がこの本の中で行っている事は、ミクロからマクロを構成すると言うことを指定しているので、完全主義と相容れないところがあると思われるかもしれない。しかし、そうとは言い切れないと思う。まず、完全主義の主張とは「この世界を支配するミクロな基礎理論と、我々の住む宇宙の初期条件が与えられれば、原理的にはこの世界で生じるすべての現象を導き得る」ということである。ここで初期条件が、どの程度、私たちの住んでいる宇宙の現象に影響を与えているのかは何とも言えないが、ミクロ理論だけではこの初期条件を調べることはできない、とは言えるだろう。そして宇宙の初期条件とは、私たちの歴史の中で作られたマクロな理論の中に、書き込まれていると考える事はできるだろう。そう考えれば、物理現象の記述の基礎つけば、マクロとミクロの双方のアプローチがあると言う考えも、自然なことではないだろうか?

なかなかすごい。私自身、マクロモデルの意義は「現象の本質を大まかに捉えること」だと思っていた。この考えには暗に「マクロモデルはミクロモデルの近似である」と言う考えも含まれていた。しかしこの本の著者は、この「マクロモデル=ミクロモデルの近似」という考えをきっぱりと否定している。その上で、物理現象をマクロモデルで考える意義をはっきりと述べている。読んでいて、目から鱗が落ちるような感覚を覚えた。

 

全宅ツイ『不動産大技林』

アパート借りるとき、火災保険はたいていは賃貸管理会社のなすがままに決められてしまうものである。このとき、あくどい不動産屋は、聞いたこともないような謎の保険会社の保険に加入するよう誘導して、そこは保険料がめちゃくちゃ高いけど、その分管理会社へ手数料が落ちるというなアコギ仕組みで儲けているという(今もあるのかどうかは知らん)。この時、借主が「独占禁止法違反では?」と正論を言っても、管理会社から審査落ちをちらつかされるという技まで使われ、結局は借主が正論を行っても逃げられないのだと言う。なんともはや。やはり不動産に関しては、他の商売と比べて、サービスを受ける側の立場が圧倒的に弱い。

 

トニ・モリスン『青い瞳が欲しい」

全300ページくらいのうち、226ページまで読んだ。今月の読書会の課題本なので、どうせもう一回読むことになるから、感想はその時に書くことにする。

 

志賀浩二ルベーグ積分30講』

第8講まで読む。ユークリッド空間上を対象とするときは区間から測度を構成した。抽象的な空間を対象とする場合は、まずは測度が持つべき性質を規定し、その性質を持つものが測度であると定義する。まさに現代的、抽象的な数学の手法である。抽象的な集合の部分集合列の極限を、速度を通じて、実数の極限概念に落とし込むのである。つまりは数直線上の極限概念が鍵となる。測度を作ることで、直感が頼りにならないような対象にも面積概念を考えることができるのである。