2021年2月1日

フランツ・カフカカフカ寓話集』

ある学会報告:かつて猿だった人間の話。猿だった頃、人間に捕まって檻に入れられる。猿は自由は求めていないが、出口は欲しがっている。そこで猿は人間になることを目指し、やがて人間になる。人間に自由はないが、それでも満足しているという。そんな話。
「自由」と「出口」は似ているようで異なる原因であることを、この寓話ははっきりと示している。そして人間は「自由」と言う概念について政治や哲学の観点からたっぷりと語り尽くしてきた。それと比べると「出口」と言う概念について真剣に語った事例はかなり少ないと思う。これは人間がいかに「自由」を素晴らしいものだと思い込んでいることの表れであり、そんな考えが猿にとっては愚かに見えると言うことなのかもしれない。何よりもこの短編の凄いところは、「出口」という、普段は見過ごされている概念をはっきりと捉えて、それを明確に表し示したことである。

2021年1月13日

フランツ・カフカカフカ寓話集』

ショートショート集。最初の3話まで読んだ。

・皇帝の使者

あまりにもシュールな話。おそらく、こーゆー話だと思う。世の中は制度上こうなっているはずという建前はあるのだが、現実にはそもそも制度が成り立っていない。しかし人々は世の中の制度が建前上でしか成り立っていないことを、死ぬまで知る事は無い、という話なのかなぁと思った。

・ジャッカルとアラビア人

アラビア人を憎むジャッカルと、ジャッカルをペット扱いするアラビア人。その間に立つヨーロッパ人。結局ヨーロッパ人はどちらの立場についたのかが明確にされないまま話が終わっているところが良い。

・ある学会報告

かつて猿だった人間が、いかにして自分が猿から人間になったのかについて語るという話。ある日、猿は人間につかまって檻に閉じ込められる。猿はこの状況から脱出したいが、自由になりたいわけではないと言っている。最初は猿が何を考えてこう言っているのかわからなかったが、猿が人間になったことによって、この意味が初めて理解できた。人間になることによって猿は閉じ込められていたという状況から脱出できたが、人間として生きなければならないので、自由とは程遠い。しかし猿は、自由が素晴らしいものであるとはこれっぽっちも思っていない。むしろ自由であることをやたら賞賛する人間のことを小馬鹿にしている。象徴的に言えば、猿は檻の外に出て状況を変えるのではなく、自分自身を人間に変えることによって状況を変えたのだ。つまり猿は今でも檻の中。人間社会と言う檻の中、ということだろう。檻の外に出てもろくな事は無いということを、猿は理解しているのだろう。

 

SFマガジン 2021年2月号

届木ウカ『貴女が私を人間にしてくれた』

生まれた時から「24時間アイドル」として活躍奮闘している3姉妹の話。このアイドル活動には黒い裏がある。

個人的には、この話にはあまり乗れなかった。誰か加害者で誰が被害者であるかははっきりしているのだが、どうも被害者に対して同情心や共感がわかない。「結局、金魚はおとなしく金魚鉢の中にいたほうが良いのではないか」という程度の感想しか出てこない。

2021年1月11日

ブレイディみかこ『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』


イギリス在住の著者と、中学生であるその息子に関するエッセイ。移民と在来人、エスタブリッシュと労働者階級、EU残留派と離脱派、あらゆる分断が発生しているイギリスのリアルな姿を「下から目線」で描いている。

①起きていることをありのままに書く、答えは書かない、というスタンスの読み物だと思う。

②息子さんが利発すぎる。発言や行動が優等生すぎる出木杉くんなので、感情移入しにくい。ただ、イギリスやヨーロッパの分断をテーマにした読み物では登場人物が必ず悲惨で疲弊していなければいけないというルールなんてどこにも無いし、これはオッケー。

③サッカーのワールドカップ中では、ナショナリズムというものに対しいつもとちょっと違った態度が生まれるという話も面白かった。自国のチームを熱心に応援するのはナショナリズムかと言えばそれはその通りなんだが、ただ自分の国のチームを応援したいというのは自然な感情であり、ナショナリズムがどうとかそんな事は全く気にならないという声もあり、確かにそりゃその通りかなと思った。

④この著者は心の底からキャメロン元大統領を軽蔑していることが再確認できた。

2021年1月10日

トニ・モリスン『青い眼がほしい』

読書会メモ。

・黒人差別について

黒人のコミュニティー内のお互いの足の引っ張り合いがえぐい。

Black Lives Matterのような「対立」という話ではない。悲しみの話である。

ピコーラがキャンディーを買うシーンで、白人の店員がピコーラを軽蔑しているような様子のシーンがあるが、おそらく、白人の店員本人からすれば差別をしているつもりはないと思う。この辺に、差別とは何かと考えるに当たって難しい問題があると思う。差別とは個人がやるのではなく社会全体の空気が作るものかもしれない。

気づかないフリをしてやっている差別と言うものがないだろうか?この作品には「知らないフリをするな」というメッセージが埋め込まれている。

・美の基準について

他者や社会から美しさの基準を押し付けられるという、女性なら誰もが経験する普遍的なテーマである

ピコーラが社会で考えられている人を基準に従おうとするのは、仕方のないことだと思う。

江戸時代の浮世絵では、美人は細い目をしている。しかし現代社会ではパッチリ目のほうがかわいいとみられている。つまり私たちも西洋の人の価値に刷り込まれているのではないだろうか?

・冒頭のシーンについて

冒頭で、緑と白の家で暮らす家族の話がある。最初は普通の文章で、その次に同じ話が句読点抜きで書かれていて、さらにその次にはまた同じ話が今度は全てひらがなで書かれている。これは一体何を表しているのか?という議論が起こった。おそらくこの話は、アメリカの白人の中産階級の生活の様子で、学校の教科書で出てくる話である。アメリカの世界では暗黙のうちに、この文章で書かれた生活が「普通の生活」とみなされているが、この小説で出てくるような黒人にとっては、ここで描かれている生活は「普通の生活」でも何でもない。社会が決めた「普通の生活」のスタンダードを押し付けられているという表れかもしれない。文章から句読点が消えて、さらに全てひらがなになるのは、言葉が崩壊しているということで統合失調症の過程と見ることもできないだろうか?

・その他

アメリカ文学専攻の女学生に聞くと、この作品がアメリカ文学専攻するきっかけになった人が多いと言う。

原題は”The bluest eye”。eyesではなくeyeと単数形になっているのは何故か?ひょっとしたら、eye(眼)とI(私)をかけているのではないだろうか。

チョリーがピコーラを犯す人が、すごく淡々としているのが怖い。

 

配管技術 2021.1

小規模な生産設備でアンモニアを製造する技術について紹介している記事がある。通常のアンモニアの製造法のハーバー・ブッシュ法では、高温高圧の反応条件が必要であり、製造のための設備も大型になり、どうしても高額化してしまう。そこで、エレクトライド触媒と呼ばれるものを用いて、小規模かつ低温低圧の反応でアンモニアを製造する技術を開発している。小規模なプラントでアンモニアを製造できるようになれば、必要な場所に必要なだけ小型のプラントを分散させて製造できるため、アンモニアの貯蔵コストや輸送コストを削減できる。また、アンモニア製造プラントを有していない小さな国でも、この製造技術を使えばアンモニアプラントを低コストで設置できることが期待できる。アンモニアの用途としては、農業用の肥料や、発酵によりアミノ酸を生産するための原料にも使われる。アミノ酸を生産する工場は内陸地にあることが多く、一方でアンモニアを輸入する時は海岸地域から受け入れるため、輸送コストがかなりかかる。この地域で提案する小規模のプラントで工場近くに製造設備を設置すれば、それだけアンモニアの輸送コストを削減することができる。また、低炭素社会を目指した水素キャリアにもアンモニアを活用できる。火力発電所やゴミ焼却炉で発生する窒素酸化物を除去するためにアンモニアを使用するという用途もある。

2021年1月9日

トニ・モリスン「青い眼がほしい」

再読した。内容について気になった点は改めて明日書くつもりだが、ここでは一言だけ。つまりこの物語は「だめなやつは何をやってもダメだ」という往年の煽り文句を体現しているようで、本当に救いようのないストーリーだと思う。こんな乱暴な言葉で要約してしまっては台無しだと言う事はわかっているけど。

2021年1月8日

https://www.newsweekjapan.jp/kankimura/2021/01/post-18.php

国際社会には、ある国の裁判所の判決を通じて他国の主権に介入することを防ぐための「主権免除」の原則がある。

ソウル地裁は今回の判決で、慰安婦問題のような「反人道的不法行為」は、主権免除の対象にならないとした。つまり日本政府は、韓国国内の民事訴訟の管轄の範囲内にあると認めたことになる。

この判決が確定すると、元慰安婦のみならず、元徴用工や元軍人軍属も日本政府を相手に民事訴訟をすることが可能となってしまう。

日本政府は控訴することで、逆転勝利を目指すだけでなく、争う過程で、「反人道的不法行為」の範囲を明確にすることもできる。また、国際社会に日本政府の主張の正当性をアピールすることもできる。

国際法のトレンドは「主権免除」の範囲を限定的に考える方向になっている。国際法や国際慣習は、時代により大きく揺れ動く。だから日本はここで大きく主張し戦う必要があるだろう。

2021年1月7日

日経エレクトロニクス 2021年1月号

初めて買ってみた。「2050年 ゼロエミの切符」と言う特集記事を読んでみたが、書いてあることがだいぶ怪しい。例えば、「再生エネルギーは導入すればするほど発電コストは安くなる」と言うのはだいぶ楽観的な話に見えるし、「火力発電にCO2対策をすればコストの上昇は不可避である」と言うのも、単なるネガキャンにしか聞こえない。エネルギーのベストミックスと言う考え方がどこにも感じられない。しかも「LNGは1ヶ月以上貯蔵することはできない」と書いている記事まである。おそらくBOGが発生していると言うことを言いたいのだろうが、エネルギーを無駄に垂れ流しているような印象を持たせる記事であり、適切な表現ではない。この雑誌は電子機器の専門誌だが、どうやらエネルギーの話は苦手のようだ。真剣に読まないほうがいいだろう。